「鎌倉・成就院」の「あじさい」

週末、雨模様の天気予報でしたが、『寅次郎あじさいの恋』(1982年)のTV に導かれ、映画の中に出てきた「鎌倉・成就院」の「あじさい」を見に出かけました。ところが、映画に映っていたような参道両脇に咲き誇っている紫陽花はではなく、所々に咲いている様な状態でした。37年も前の映画だから、仕方ないのかなあ~

帰って調べてみたら、成就院参道は「あじさい参道」と呼ばれていましたが、平成27年から29年まで改修工事が行われ、その際、多くのアジサイが震災被害に遭った宮城県南三陸町に移植されたらしいです。

そうだったんですね。

本堂の右手前にある手水舎の龍が凄い!
鎌倉で一番うつくしい手水舎と言われている

 

2016.1/8 初詣 🎍 川崎大師に出かけました。

大山門の四方には、仏法の守護尊として京都東寺の国宝・四天王像を模刻、鋳造した持国天(東方)、増長天(南方)、広目天(西方)、多聞天(北方)が奉安されています。

清瀬の水天宮

● 9月1日 息子夫婦に 初めての子供が授かりました。
安全祈願に向こうの御両親を交えて、清瀬の水天宮にお参りに行きました。

高尾山に登りました。

● 2011.11.22 人気の高尾山に登りました。

高尾山は、東京都八王子市にある標高599mの山。
東京都心から近く、年間を通して多くの観光客や登山者が訪れます。

薬王院飯縄権現堂前には、右側に鼻の高い大天狗、そして左側には烏の嘴を持った烏天狗の小天狗の像が立っています。そう、ここ高尾山は天狗の住む 山なのです。天狗とは現世で知識だけを追い求め精神的な修行を怠った者が変化したものであると論じています。

 

天狗は知者であり仏法にすぐれているので地獄/餓鬼/阿修羅/畜生道には落ちない。しかし無道心だから天道にも上れない。結果行き場がなくなって天狗道に落ちて輪廻から見放されてしまうのである、と。

一般に赤顔鼻高、山伏(やまぶし)の格好で、あらゆるものを吹き飛ばす団扇(うちわ)を持ち、一本足の高下駄をはく格好で知られます。

娘の安産祈願で水天宮へ〜

● 2011.9月
来年2月に出産予定の娘の安産祈願のため、日本橋の水天宮に行きました。
犬のお産が軽いことにちなみ、戌の日は安産祈願の人で賑わう。東京の水天宮の参拝者の多さにあやかり、境内末社を勧請し新たに水天宮を名乗る神社もある程、安産の信仰が強い。「帯祝い」の帯と戌の人形を買って祈祷してもらいました。子連れの狛犬、手毬を持つ狛犬。
田舎の酒、「初孫」が奉られていたのにもビックリ!

笠森観音

●9/24日  姉夫婦の勧めで千葉県長南町の、「ミニ清水寺」として親しまれている「笠森観音」に出掛けてみました。

■笠森観音■
笠森観音と呼ばれ親しまれていますが、正式名は「笠森寺」で、笠森寺観音堂「日本でただひとつ『四方懸造り』として、明治41年(1908年)に『国宝』に、その後、昭和25年(1950年)『文化財保護法』の制定により、『国指定重要文化財』となっています。」岩の上に建てられた観音堂で、回廊から見わたす展望は雄大な房総の山なみを感じます。岩山を背に、それぞれ高さの違う61本の柱で支えられた全国でも珍しい「四方懸造」の観音堂があり、国の重要文化財となっています。また、寺の周辺は千葉県笠森鶴舞自然公園に指定されており、自然につつまれた静かな景勝地となっています。

普通門には仁王像がいると思ったら、こちらは二天門といい、右の風神のほうはおむつをしているようにも見える。ちょっとユーモラスな感じと言ったら叱られるでしょうか。

東関東自動車道館山線「市原IC」国道297号線勝浦方面へ、国道409号を茂原方面へ約6kmです

初詣 & 島かぼちゃ

●2010.1.3…今年も家族一同で初詣。證誠寺と八劔八幡神社です。

1月3日、今年も家族一同で初詣。證誠寺と八劔八幡神社です。
昨年は八劔の狛犬を描いたので、今年は證誠寺の彫刻を描きました

今年も宜しくお願い致します

●2009.12.19…島かぼちゃと唐辛子です。

千葉県鴨川産の島かぼちゃと唐辛子です。
家内が楽しんでいるパステル教室の皆さんと買って来てくれたものです。
初めて見ました。味は?描いてからのお楽しみ。

鎌倉を訪ねて〜 

〇 2009.2.12日・鎌倉大仏様を描こうと高徳院に行ったのですが、あまりの観光客の多さで仁王様を描きました。

〇 2009.2.12日・鎌倉鶴岡八幡宮のボタン庭園の牡丹。満開でした。

〇 2009.2.12日・鎌倉鶴岡八幡宮前の若宮大路参道 段葛(だんかずら)の前の狛犬と、鶴岡八幡宮の狛犬です。

鶴岡八幡宮は、京都の石清水八幡宮を厚く信仰していた源頼義が前九年の役で奥州の安部氏を平定した後、康平6年(1063)8月、京の石清水八幡宮を鎌倉由比ガ浜郷に勧請し社殿を創建した。その後、治承4年(1180),源頼朝が鎌倉入りするや由比ガ浜の八幡宮(元八幡)を,この地小林郷に移した。建久2年(1191)には武士の守護神の宗社に相応しく上下両宮の現在の姿に整えた。源頼朝が,この高台に社殿を作った時は、既に平家は滅亡し、奥州・藤原氏も討伐し,全国60余州を平定した時であった。翌年には、征夷大将軍になり、まさに頼朝の絶頂期であった。鎌倉はこの頃は既に、京都と並んで政治文化の中心となっており頼朝は関東の総鎮守となって崇敬されていた。

初詣 ⛩

〇 2009.1 今年も木更津の八剣八幡神社に家族皆で初詣しました。今年も宜しくお願いいたします。

往昔このあたり一帯の地を八剱の里と呼び、 この里の神を八剱の神と称え、この神に仕えるはふりを八剱と申したと伝えられております。
要するに往古この里の神は産土神であって、八幡信仰が全国に広まったのは、それよりずっと後世の事であると思われます。

そうすれば「日本武尊」が当社に詣でられたという伝承も矛盾はなく、唯「君去らず」−「木更津」の転訛は土俗学・言語学的には異議があるかもしれませんが、一説として残しておく事も差し支えないでしょう。

同様に「君去らず袖しが浦に立つ波のその面影を見るぞ悲しき」
の歌も後人が尊の御心中を拝察して詠じたものと見てよろしいかと思われます。