冬の日本海 「  初冬・日本海  」F80

● 1995.1…山形県、北端、遊佐町の海岸より〜近くに十六羅漢

冬の日本海.。荒れ狂い、凝視していると、吸い込まれてしまいそうな波、波、波。十六羅漢からの日本海を大作に挑戦!!

山形県と秋田県の両県に跨って日本海に裾野を洗う鳥海山(標高2,236m)がその昔、火山活動活発だった頃、火口から流れ出て日本海まで流れ出た溶岩は、複輝石安山岩で、この溶岩に刻まれたものが十六羅漢です。
遊佐町のJR東日本羽越本線の吹浦駅から西北に約1Kmの海岸にこの名勝「十六羅漢」が日本海に突き出たかたちであります。

吹浦は、もともと漁村だったところで、多くの漁師が日本海の荒波に命を失ってきたのに胸を痛めた、海禅寺の第21代住職寛海和尚が、海難事故による諸霊の供養と海上の安全を祈り、衆生を救わんと、羅漢の造仏を念願して、発願したのが元治元年(1864)だったそうです。
寛海和尚は、自ら近村はもちろんのこと、酒田まで托鉢して勧化につとめ、また一方で、升川の石工たちを指揮督励して刻苦し、明治元年(1868)ようやく22体の磨崖仏を完工しました。
16の羅漢に釈迦牟尼、文珠、普賢の両菩薩、観音、舎利仏、目蓮の三像をあわせて22体といわれています

第61回 東光展 初出品入選     1995.4

● 1995.1…….

〇 配達の途中、すごい風景・現象に遭遇!
何と、海から湯気が上がって、視界が利かない。見た事の無い幻想的な世界!!

1970~1994

● 1994.11…….自画像….

● 1994.12…..酒田港、早朝。

平成8年度 白甕社美術展 初出品入選 1996.9

● 1994.10………

● 1990.3〜4…….. 家族の似顔絵をマンが風に〜….

● 1978.10〜11………..

〇 映画ポスターより

● 1978.11……息子の貞春と、千葉から来た姉の息子の和郎くん。…

平成9年度 白甕社美術展 入選(2-2)   1997.9

● 1978.7……中央会館でのデッサン会にて〜……..

● 1978(S53).7…………

● 1977.12〜1978.1……..北の馬のためのデッサン……

子供のころの牧曽根には、農馬がいた。馬が引くそりにのせてもらった記憶が、今でも思い出される。

● 1977.11…………..

● 1977.11………………….

● 1975.1…….. 親戚の結婚式の引き出物の花カゴを描いてみました。……..

● 1974.8………. 妻の律子を初めて描く。……..

● 1973.8〜10………………..

● 1972.1……. ㈱第一銀行・新大久保独身寮の部屋にて〜…….

● 1971.7…….第一銀行・絵画倶楽部のスケッチ会にて……..

油壷は波のおだやかな日が多く、木々の緑が映えるロケーションが魅力。
諸磯湾、油壷湾、小網代湾と三つの個性的な景観が楽しめるので、幅広い年齢層が四季を通じて訪れます。〜

● 1970.1〜9………………